べんじゃあさんのお話し

むかし、むかし気の遠くなるくらいむかし。
里の人たちが野山を焼いて畑を耕していたのをなんとなく覚えています。
それが私の最初の記憶。
その人たちが海でとれたもの、畑でとれたものを私の前にお供えしてお祭りをしてくれたの。
すぐそばに海があった遠い昔の記憶。

海が少し遠くなったころ、たくさんの人が力を合わせて地面を削り、溝を掘り、水路を造って田んぼでお米を作り始めたの。
それでみんなお腹いっぱい食べられるようになったし、余った石や土で大きな塚を作り、みんなをまとめた長のお墓にしたそんな古墳がたくさんつくられた。
すごくみんなが豊かになった時代だった。
そしてみんなで私の所へ来ていつものようにお祭りをしてくれたのよ。

何度も春が来て季節が巡るうち、この近く、嘉瀬川の向こうに『肥前国府』という大きなお役所ができたの。
一緒にありがたい仏様の教えを伝える国分寺、国分尼寺もできてこの辺りは肥前の国の中心になって栄えたのよ。
地元の偉い人も頑張ってこの麓に国分寺に負けない大きなお寺『大願寺』を造ったので、この辺りは大願成就村と呼ばれてたくさんの人が幸せに暮らしていたわ。

その頃かな?
私はいつのまにか『弁財天様』と呼ばれるようになって、琵琶を持った姿になったのよ。
今は『べんじゃあさん』とか『おべんじゃさん』って呼ばれてるけどね。
むかしの名前?
もう忘れちゃった。

いくつも戦乱があり、お寺が焼けたり、たくさん人が死んだり、私の力が足りなくて飢饉になってしまったり、大変なこともたくさんあったけど、里の人たちは毎年欠かさずお祭りを続けてくれる。
いつも一生懸命働いて、美味しいお米や野菜や果物を作ってはお供えしてくれるの。
だから私もこの水源を守り、お日様の恵みを大地に伝えて里の人たちを助けているのよ。
それが何千年も続く私のお役目。

でもこの頃ちょっと寂しいの。
ほったらかされた畑や田んぼがあっちにもこっちにも・・・。
長い長い年月をかけて造られ、育くまれてきた田畑が荒れていくのはとても悲しい。
そして私と里の人たちとの縁も薄くなってしまうようで寂しいの。

私は里の人たちが好き。
里の人たちと一緒に働きたいの。
千年も万年も・・・
ずっと、ず~っと・・・

 

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